帰納 vs 演繹:思考の二つの力のせめぎ合いと融合

静けさと智慧の習慣
論理思考の二つの道「帰納と演繹」を対比的に描いたイラスト

The Birth of Truth: Mastering Induction and Deduction in Thinking

「私たちは事実そのものに縛られているのではなく、事実をどう解釈するかに縛られているのだ」——ニーチェ

カフェでの対話

東京・神保町の静かなカフェ。
大学生の佐藤健太と、心理学を学ぶ先輩中村彩香 が、コーヒーを飲みながら熱い議論を交わしていた。

健太:「この前のゼミで出た『白鳥はすべて白い』って例さ。黒い白鳥を一羽でも見たら、あの結論は一瞬で崩れるよな。つまり帰納って不完全なんじゃない?」

彩香:「でも演繹だって同じだよ。前提が間違っていたら、いくら推理がきれいでも意味がない。人間の脳って、結局は『限られた情報』から判断してるんだよね。」

二人の対話は、まさに 帰納(induction)と演繹(deduction) のせめぎ合いでした。

帰納の落とし穴:経験がつくる錯覚

彩香は有名な心理学実験――ギャンブラーの誤謬を紹介しました。

カジノでコインを投げて、連続して5回「表」が出たとする。
ほとんどの人が「次こそ裏が出るはずだ」と思い込みます。

だが現実には、毎回の確率は 50%:50% で変わらない。過去の結果は未来に影響を与えないのだ。
それでも人間は、限られた経験から「パターン」を無理に見つけようとしてしまう。

健太は笑って言った。
「ははっ、俺も昔パチンコやってる時、よく『次は絶対に当たる』って思ってたわ……ただの錯覚だったんだな。」

これこそが帰納のリスク。経験から学べるのは強みだが、同時に 『間違ったパターン認識』 に陥りやすいのです。

演繹の落とし穴:前提が誤れば、すべてが崩れる

彩香はさらに別の例を挙げた。

心理学の実験で、こんな論理問題が出される。
•前提1:すべてのAはBである
•前提2:CはAである
•結論:CはBである

論理展開自体は正しい。
だがもし「前提1」が誤っていたら? どれほど演繹が厳密でも、結論は誤る。

つまり、演繹推論は「正しいルールの下では」無敵だが、前提を疑わなければ 脆さ を露呈するのです。

もう一つの心理的ワナ:確認バイアス

彩香はさらに、有名な確認バイアス実験――ワッソンの「選択カード課題」を紹介した。

テーブルに4枚のカードがある。
表には数字、裏にはアルファベットが書かれている。
ルールはこうだ:「もし表が偶数なら、裏は母音である。」
さて、このルールを検証するには、どのカードをめくるべきだろう?

多くの人は「偶数カード」と「母音カード」を選ぶ。
だが本当にめくるべきは「偶数カード」と「子音カード」なのだ。
なぜなら、反例を見つけなければルールは検証できないからです。

人間の直感は、自分の仮説を裏付ける証拠ばかり探し、仮説を覆す可能性のある証拠を無視してしまう。
これが 確認バイアス。

健太は苦笑して言った。
「うわ……SNSでも俺、いつも自分と同じ意見ばかり見てるな。だからどんどん偏っちゃうんだ。」

「確認バイアス」について、別記事で詳しく紹介しています。→【盲目的な自信こそ、最大の認知の落とし穴

帰納と演繹をつなぐ“橋”

彩香はこうまとめた。

「帰納は仮説を立てる力、演繹は仮説を検証する力。
どちらか一方だけに偏ると、必ず歪みが出る。大事なのは、この二つを行き来することだよ。」

健太はうなずいた。たしかに、日常生活でも学問でも、そして仕事や人間関係でも必要なのは:
•小さな経験や失敗から「規則を見出す」(帰納)
見出した規則のもとで「推理と検証を行う」(演繹)
•新しい観察や反例で「現実と照らし合わせる」

思考はこうして更新されていくのです。

結び:本当の賢さとは

彩香の最後の一言は、健太の心に強く残った。

「本当に賢い人って、いつも正しい人じゃなくて、自分が間違っていると気づいた時に、すぐ修正できる人なんだよ。」

健太は笑って答えた。
「じゃあ俺、今日からその『賢さ』を練習するわ。」

カフェの窓の外に夕陽が差し込み、二人の会話をあたたかく包んでいました。

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