──燃え尽き症候群を越えて:休むことは逃げじゃない、自分を取り戻す勇気だ
終わらない頑張りの先に──「仕事のストレス」と隣り合わせの毎日
社会人として働く中で、「努力」「成果」「継続」は長く美徳とされてきました。
「頑張ることはいいことだ」——そう信じて、私も走り続けてきました。
毎朝早く出社し、夜遅くに帰る日々。
周囲が休んでいても「自分だけは頑張らなくては」と、休日もパソコンに向かい、自己啓発書を読み漁る。
「成長し続けなければ、自分の価値はない」
「止まったら、すぐに置いていかれる」
そんな焦燥感が、いつしか慢性的な仕事のストレスとなり、心の中に居座っていました。
燃え尽きた朝──燃え尽き症候群という現実
ある朝、突然、私は布団から起き上がれなくなりました。
身体は重く、頭はぼんやりして働かない。
あれだけ鳴り響いていた“頑張らなきゃ”という声も、静まり返っていたのです。
「仕事に行かないと」と思っても、身体は動かず。
スマートフォンを持つ手すら、自分のものではないように感じました。
1時間ほど布団の中で天井を見つめ続け、気づけば涙が流れていました。理由もわからず、ただ、涙が止まらなかったのです。
心療内科での診断は、「燃え尽き症候群(Burnout)」でした。
「真面目で責任感が強い人ほど、燃え尽きやすいんですよ」と、医師は優しく言いました。
まさか自分が——と思いつつも、心のどこかで納得している自分がいました。
「休む勇気」が怖かった——罪悪感との闘い
「休みましょう。しっかり休まないと、元に戻れなくなりますよ」
そう医師に言われたとき、私は強く反発したくなりました。
「自分は怠け者じゃない」
「これまでの努力がすべて無駄になる」
でも、もう心も身体も限界を迎えていたのです。
最初の1週間は、何もしない自分に耐えられませんでした。
「こんなことでいいのか」「みんなは働いているのに」——そんな思いが、罪悪感として頭の中で鳴り響きました。
でもある日、ふと外に出て公園を歩いていると、小さな花が目に留まりました。
風に揺れるその花が、なぜかとても美しく、愛おしく感じられたのです。
「ああ、自分はこんな些細なものすら、見落としていたんだな」
それは、失われていた心の余白を取り戻す第一歩だったのかもしれません。
自己ケアを始める──心と体を整える日々
その日から、私は少しずつ生活を見直していきました。
朝はゆっくり起き、温かいお茶を飲んで読書をする。無理のない範囲で散歩をする。
そして、「今日できたこと」を小さなノートに記録する。
完璧を目指さず、できたことに目を向ける——それが、ささやかな**自己ケア(セルフケア)**でした。
カウンセリングにも通い、自分の中の「完璧主義」や「他人の評価に縛られる性格」に気づくことができました。
「努力しなければ価値がない」と信じていた私に、
「ただ生きているだけで、価値がある」と、初めて優しい言葉をかけてあげられたのです。
メンタルヘルスを守るという選択
数か月後、職場に復帰した私は、以前より穏やかな気持ちで仕事と向き合えるようになりました。
「自分を犠牲にしてまで成果を出す必要はない」
「他人と比べず、自分のペースで歩けばいい」
そんな考えが自然と心に根付きはじめました。
そして、不思議なことに、そうした心の余裕が周囲にも伝わり、職場の人間関係も少しずつ良くなっていったのです。
自分を守ること、メンタルヘルスを大切にすること。
それは、何よりも尊い「生き方の選択」だったのだと思います。
まとめ:本当の勇気とは、立ち止まること
「頑張ること」が称賛される社会の中で、「休む」という行為は弱さと見なされがちです。
でも私は、声を大にして伝えたい。
本当に勇気がいるのは、走り続けることではなく、立ち止まることです。
燃え尽きた経験を通して学んだのは、
「休む勇気こそが、自分を再び育てるための時間」であるということ。

私たちはもっと、自分の心の声に耳を傾けていいのです。
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