Why We Think We’re Objective (But Others Aren’t): Understanding Naïve Realism
オフィスでの議論、家族との会話、SNSでの政治的対立。
私たちはつい「自分は冷静で客観的なのに、相手は偏っている」と感じがちです。
この思考の正体を、心理学では 「素朴実在論(Naïve Realism)」 と呼びます。
こんな経験、ありませんか?
•オフィスで同僚と企画を議論していて、「相手は肝心なポイントを全然わかってない」と思ったら、相手は「君が頑固すぎる」と感じている。
•家族の集まりで、親戚が「最近の若者は苦労を嫌がる」と主張するのを聞き、「この時代を全然理解してない」と心の中で思う。
•SNSで自分と真逆の政治的意見を目にして、「この人たち、洗脳されてるんじゃないか?」と反応してしまう。
正直に言えば、誰もが一度はこうした状態に陥ったことがあるはずです。
要するに:「私は客観的なのに、なぜ相手は私のように考えられないの?」 という感覚。
これは人間によくある心理的な罠で、心理学では 「素朴実在論(Naïve Realism)」 と呼ばれています。
簡単に言うと:
自分の見たもの・聞いたもの・感じたものこそが、“現実そのもの”だと信じてしまう。
そして、相手が違う意見を持っていれば、「理解不足か偏見のせいだ」と考えてしまうのです。
「認知の修行」について、【事に向き合い、人を責めない——一生をかけて磨くべき「認知の修行」】をご覧下さい。
「素朴実在論」とは何か?心理学が示す認知バイアス
これは「みんなが酔っている中で自分だけ醒めている」という自信ではなく、
人間の認知構造に根付いた「盲点」なのです。
平たく言えば:
「目で見えたものがすべて、感じたことが事実。」
哲学者ジョージ・バークリーはこう言いました。
「物質に私たちが与えている属性は、実は人間の感覚の属性にすぎない。」
つまり、世界そのものは“裸”であり、私たちはそれぞれ主観という衣を着せているのです。
たとえば目の前にある机を見たとき、「もしかして机じゃないかも」とは考えません。
「これは机だ」と即座に断定します。
子どもの頃から、私たちはこうして“直接的な感覚”で世界を理解してきました。
でも問題は:直接感じたこと=事実のすべて、ではない ということです。
小林さんの会議エピソード:すれ違いが成果に変わった瞬間
素朴実在論 → 誤解を招く
小林さんは IT 企業のプロダクトマネージャー。ある日、彼は3つの企画案を用意して会議に臨みました。
ところが2つ目の案を説明している途中、営業責任者が眉間にしわを寄せ、話を最後まで聞かずに遮ります。

「この案はまったく使えない!」
小林さんはショックを受けました。2週間も残業して準備したのに、一蹴された気がしたのです。思わず反論しました。
「僕の意図を理解されていないのでは?」
二人が「相手の立場」を理解し直したことで、転換点が訪れた
会議は険悪な雰囲気で終わってしまいました。
後日、上司が二人を呼び出し、こう提案します。
「お互いに、相手が一番重視しているポイントを3つ書き出してください。」
結果は意外でした。
小林さんはじめて気づきました。相手が本当に気にしていたのは“リリースまでの時間”であって、企画の中身そのものではなかったのです。
一方、営業責任者も驚きました。小林さんはすでに短期間で実行できる代替案を用意していたのです。
結果:協力で転換率32%UP
二人は協力して修正し、結果的に コンバージョン率が32%アップ しました。
以来、重要な議論の前には「相手の意見を自分の言葉で言い直す」習慣ができました。
このエピソードは、誰もが持つ認知の盲点を映し出しています。
実験が示した「自信満々の錯覚」
1999年、心理学者エミリー・プロニンはこんな実験を行いました。
被験者に「学費を値上げすべきか否か」に関する討論資料を読ませ、こう尋ねました。
「あなたと逆の意見を持つ人は、どんな理由でそう考えていると思いますか?」
結果は明白でした。
多くの人が「相手は偏見や利害で動いている」と答え、
「情報の違い」や「価値判断の違い」だとは考えなかったのです。
つまり、
人は“自分が見落としているかもしれない”とは思わず、“相手が間違っている”と考えやすい。
これは理性的ではなく、むしろ「認知的な思い上がり」です。
「自分は正しい」と思い込む心理的な理由
進化のショートカット
脳は省エネ思考を好む。いちいち疑うより、見たものをそのまま「現実」とするほうが早い。情報のフィルターバブル
情報のフィルターバブル
SNSのアルゴリズムや、自分の選ぶメディアが、信念を強化し続ける。
「ほら、やっぱり世界は自分の思った通りだ」と信じ込む。
分歧時の自己防衛—自己防衛本能
「私が間違った?」と考えるより、「相手が悪い」と思うほうが楽。
自我の防御
「相手も正しいかも」は、「自分が間違っていたかも」を意味する。自尊心に刺さる。
視点のフィルターに気づけない
呼吸を意識しないように、自分の視点が“視点の一つにすぎない”ことに気づかない。
疑うことはエネルギーを使う一自分を疑うのは疲れる
常に「これでいいのか?」と疑っていたら、脳は疲弊する。だから脳は「大丈夫、これが真実だ」と錯覚させる。
より「真の客観」に近づくには?
賢さの始まりは、“自分も間違っているかもしれない”と疑うこと。
自分を否定するのではなく、“認知のバックミラー”を持つイメージです。
1️⃣ 「自分も盲点にいる」と認める
哲学者ラッセルは言いました。
「世界で最も危険なのは、愚か者と狂信者は確信に満ち、賢者は疑いを抱くことだ。」
確信が強いときこそ、立ち止まるべきです。
2️⃣ 「なぜ彼らはそう考えるのか?」を習慣に
「どうしてそんなにズレてるんだ」ではなく、
•「彼らは自分が知らない情報を持っているのか?」
•「どんな経験が、そういう見方をつくらせたのか?」
理解することは同意することではありません。
3️⃣ 反対意見をあえて探す
普段A紙を読むなら、B紙も読んでみる。
敵対的な立場の人の論理を知るのは、勝つためではなく“世界のもう一面”を見るため。
4️⃣ 「判決」ではなく「実験」
「絶対自分が正しい」ではなく、
「今の情報ではこう判断する。でも新しい情報があれば修正する。」
柔軟でいることが、強さになります。
3つの小さな実践
1.別のレンズをかける
結論を出す前に:
→ 相手ならどう理解する?
→ 自分の立場が判断を歪めていないか?
→ 他に合理的な説明はあるか?
2.「自分が間違っているかも」と認める
心理学の用語で 「信念の柔軟性(Belief Flexibility)」 があります。
賢い人は「考えを変えること」を敗北ではなく、アップデートと捉えます。
3.“絶対正しい”ではなく“より客観的”を目指す
「自分の視点こそ真理」ではなく、
「限界はあるけど、みんなの視点を合わせれば真実に近づける」と考える。
「本当に大切なものは、目に見えない。」
ソクラテスは「自分が無知であることを知っている」と言いました。
限界を受け入れることこそ、知恵の出発点です。
情報が氾濫する時代において、本当の清醒とは「自分が正しい」と信じ込むことではなく、
「自分も間違っているかもしれない」と常に意識すること。
次に「絶対に自分が正しい」と感じたら、こう問いかけてみましょう。
―― それは事実のすべて? それとも私のレンズを通した一部にすぎない?
作家フランスの言葉を最後に。
「すべての事象の背後にある理由を知ることができれば、あらゆる行為を許せるだろう。」
理解は同意ではありません。
でも理解こそ、深い思考と本当の成長の始まりです。
どうかこの喧騒の世界で、
「自分だけが醒めている」という錯覚を少し減らし、
「より広く透き通った洞察」を増やしていけますように。



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