Are We Too Obsessed with Being “Useful”? — The Hidden Power of the “Useless”
荘子はこう言いました。「人皆知有用之用,而莫知無用之用也」――人は皆“役に立つもの”の価値は知っているが、“役に立たないもの”の価値は知らない。
二千年以上前のこの言葉は、効率至上の今の時代にこそ、驚くほど鋭く、そして静かに尊く響きます。
私たちはまるで“効率強迫症”にかかったかのように、あらゆるものに対して
「で、それって何の役に立つの?」
という物差しを当ててしまう。
一冊の本、人との関係、一つの午後、そして一つの夢でさえも。
けれど、ここで少し逆説的なことを言いたいのです。
実は、いかにも“役に立たない”ように見えるものこそが、人生の厚みとしなやかさを育ててくれる。
そして“無用の中に有用を見いだす心”こそ、豊かさと智慧の証なのです。
その智慧は、モノを大切にすることから始まり、やがてもっと根源的な場所へと、そっと私たちを導いていきます。
理由①:モノを大切にする心は人を大切にする心の“練習場”になる
車の運転を覚えるとき、いきなり高速道路には出ない。
まずは広い駐車場で、ゆっくりハンドルを切り返す。
“誰かを大切にする心”も同じで、まずは安全な場所で練習が必要だと思います。
長年使ったマグカップや、角の丸くなった古い本に、ふっと温かな気持ちを向けられる人は、
友人の言葉に潜む小さな寂しさや、パートナーの表情のわずかな揺れにも、気づきやすい。
モノと人は別の存在に見えても、「大切にする」という行動パターンは、同じ回路で動いています。
一方で、モノをすぐに捨て、使い捨てにし、「代えはいくらでもある」という態度に慣れてしまう人は、
人間関係においても同じように、利便性や効率を優先し、人さえも disposable(一回きりで替えのきく存在)のように扱いがちです。
理由②:“無用”な時間は、心の避難所であり、エネルギーを蓄える充電ステーションでもある
「役に立たないことに、意味なんてあるの?
発散なら動画を見るほうが手っ取り早いし、ドキュメンタリーなら知識も入る。
ぼーっと空を眺めるなんて、時間の無駄じゃない?」
そんな声が聞こえてきそうです。
だが、脳は機械ではない。
永遠に“処理モード”のまま動き続けることはできない。
ときには、「待機モード」が必要です。
ぼんやりする、散歩をする、風の音を聞く、雨を眺める。
こうした“生産しない時間”こそが、脳を消耗から救い、創造性の扉を静かに開きます。
哲学者ショーペンハウアーは「人間には三つの束縛がある――自我、時間、因果――」と語りました。
“何の役にも立たない時間”は、この三つの束縛から、ふっと抜け出すための小さな脱出口なのです。
それは浪費ではない。
むしろ“遠くへ行くための戦略的休息”なのです。
実例:友人の15分

友人は大手IT企業のエース。
KPIとOKRが日々を埋め尽くし、自分のことを「効率マシーン」だと自嘲していました。
しかし現実は――
不安、寝不足、アイデア枯渇。
ある日、疲れが限界に達した彼は、昼休みにデスクを離れ、会社の庭を“目的もなく”歩くようになりました。
最初は罪悪感でいっぱいだった。
「仕事をサボっているみたいだ」と。
それでも歩き続けるうちに、
雀の跳ね方、葉脈の細さ、木漏れ日のかたちが、少しずつ目に入ってくる。
その15分間、彼は何もインプットせず、何も判断しませんでした。
数週間後、午後の仕事効率はむしろ上がり、停滞していたプロジェクトの突破口となるアイデアが、散歩中に“ポン”と浮かんだのです。
今、彼はこう言います。
「あの“無用の15分”が、1日の中でいちばん価値がある。」
理由③:“無用”から“有用”を見つけることは、高度な認知能力である。
それは、価値のフレームを組み替える力です。
時間軸を変えて見る
・短期:
マイナー言語の学習、関係なさそうな歴史の研究。
たしかに今すぐには役に立たないように見える。
・長期:
思いもしない場面で世界を開くパスポートになったり、人生の岐路で判断を助ける羅針盤になったりする。
ジョブズが若い頃に書道を学んだのは、多くの人から見れば「最も無駄な時間」だったかもしれない。
けれど十年後、それはMacの美しいタイポグラフィを生み出す土台になりました。
正方向と逆方向
・正方向:
「役に立つことを求める」のは、もちろん自然なこと。
・逆方向:
しかし「役に立つ」の基準が狭すぎると、心は痩せ細り、息苦しくなる。
そのとき“無用”は、価値観に溜まった毒を抜く役割を果たします。
心理学の視点から見れば、これは“成長マインドセット”のあらわれです。
固定マインドの人は、すでに決められた価値の枠内でしか物事を見ない。
成長マインドの人は、価値は自分で創り出せると信じている。
だからこそ、“無用”の中に新しい可能性を発見できるのです。
「ゆっくり」の価値については、別の記事【ゆっくり煮込む、ほんものの味——猛スピードの時代にこそ取り戻したい「いのちの呼吸感」】で詳しく書いています。
だから、もう軽々しく
「で、何の役に立つの?」
と自分に問い詰めるのは、そろそろやめてみませんか。
人生はチェックリストではない。
経験するためのもの、味わうためのもの、つながるためのものです。
“役に立たない”ぬいぐるみを、どうか簡単に手放さないでほしい。
そこには、二度と戻れない幼い日の景色が詰まっています。
“役に立たない”おしゃべりも、遠慮なく楽しんでほしい。
その雑談が、人間関係の水脈を静かに豊かにしていきます。
“役に立たない”趣味にも、ためらわず没頭してほしい。
それがこの功利的な世界から、あなたの心をそっと守ってくれる。
“無用”と“有用”のあいだでバランスをとり、モノには縛られず、心は満ちている――
そんな生き方は、きっと可能です。
ときに、人生の最も深い智慧は、私たちが「無価値だ」と決めつけていた片隅に、ひっそりと潜んでいるのかもしれません。
Q:これって、結局「怠ける言い訳」なんじゃない?
A:全くの逆です。
積極的な“無用”は、自分で選び取る休息=戦略的チャージ。
“怠け”や“諦め”は、エネルギーも意志も手放してしまった状態。
前者は「前進するための準備」であり、
後者は「前進をやめてしまった状態」。
むしろ無用の価値を知る人ほど、ここぞというときに鋭く、強い。
Q:忙しい普通の人に、“無用”を追う余裕なんてある?
A:大げさなことをする必要はありません。
生活のすき間に、ほんの少しの“呼吸”を置くだけでいい。
通勤中、勉強の代わりに一曲だけ音楽を聴いてみる。
週末の30分、ただ空を眺める。
家族のために、目的も成果も求めない一皿を、ていねいにつくってみる。
“無用”は贅沢ではなく、どこにいても育てられる心の姿勢です。


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