The 1000-bit Universe: How Quantum Randomness Created You and Me
宇宙はあまりにも複雑です。銀河、恒星、生命、そしていまこの瞬間に脳の中で浮かび上がる思考。その壮大な舞台が、じつはたった約1000ビット(短編小説1本ほど)の情報から始まったかもしれない――そう言われたら、信じられるでしょうか。
これは荒唐無稽なSFではなく、現代宇宙論が示すひとつの仮説です。
「シンプル ↔ カオス」「秩序 ↔ ランダム」。
その張りつめた緊張のあいだに、私たちの宇宙の秘密が潜んでいるのです。
ここでは、十の問いを手がかりに、宇宙が“極限のシンプルさ”から、ランダム性という見えない筆によってどのように豊かな世界を描いたのかを探っていきます。
一、宇宙の始まりは「ほぼ真っ白なキャンバス」だった?
Q:宇宙は本当に1000ビットほどの情報しか持たずに始まったのでしょうか?
ビッグバン直後、宇宙は想像も及ばないほど小さかったと考えられています。
現代理論では、空間には「最小の粒度(プランクスケール)」が存在する可能性があります。
もし宇宙全体がその極小スケールに押し込まれていたなら、格納できる情報量は必然的に限られます。計算すると、そのオーダーはおよそ1000ビット程度――つまり、唐詩が1首書けるほどの容量だといわれています。
もちろん数値には議論がありますが、重要なのは「宇宙は最初から複雑ではなかった」という洞察です。
哲人の言葉を借りれば、「万物はシンプルから始まる」のです。
「宇宙」については、別の記事【アインシュタインが量子と出会った日――「虚無」から始まる宇宙の叙事詩】で詳しく書いています。
二、量子のサイコロ──ランダムこそ創造のエンジン
Q:ランダムな量子現象が、どのようにして新しい情報を生むのでしょうか?
情報とは「不確実性が消えたときに生じるもの」です。
励起状態の原子を思い浮かべてください。
1秒後に光子を放つか放たないか、その確率は50対50です。
観測するまでは両方が重ね合わさった不確定な状態ですが、観測の瞬間に結果は一つに定まります。
その「定まった」という事実が1ビットの新しい情報になるのです。
宇宙では、このような量子の「サイコロ」が無数に振られ続け、ビットが生まれ続けています。
ランダムは欠陥ではなく、宇宙の根幹的な機能そのものなのです。
意外性こそ、創造の火種なのです。
「不確実性」を見つめ直したい方は、【「存在は合理である」・「不確実性」・「変化を受け入れる」】もあわせてお読みください。
三、カオスから秩序へ──なぜリンゴは落ちるのか?

Q:宇宙の根底がランダムでも、なぜ私たちの世界は法則的に見えるのでしょうか?
理由は「スケール」にあります。
一つの量子は気まぐれでも、膨大な数が集まると統計的な法則が現れます。
光子1個は自由気ままに反射や透過を選びますが、光子が何兆個と集まると、透過95%・反射5%といった安定した比率が現れます。
星の分布や銀河の形も同様です。初期のランダムなゆらぎが重力によってわずかに増幅され、やがて巨大な宇宙構造へと成長していったのです。
ランダム=素材。
物理法則=職人。
混沌の砂から秩序の大陸が創られたのです。
四、巨人の誤算──アインシュタインと乱数の対決
Q:「神はサイコロを振らない」――アインシュタインはなぜランダムを嫌ったのでしょうか?
彼は宇宙を精巧な時計のように考え、すべては因果で決まり、未来は完全に計算可能だと信じていました。
ランダムを認めることは、物理学の客観性を揺るがすことだと恐れたのです。
しかし、その後のベルの不等式を用いた量子実験によって、ランダムこそが宇宙の根源的な性質であることが示されました。
アインシュタインは「間違った」のかもしれません。
しかし、その異議こそが量子力学をより深く、強く育てたのです。
偉大な誤りは、ときに凡庸な正しさよりも未来を拓くのです。
五、もしランダムがなかったら?
Q:完全決定論の宇宙では、私たちは存在できたのでしょうか?
未来が初期条件で完全に決まり、情報が一切増えない世界を想像してみてください。
そこに変化はなく、驚きも進化もありません。
均質な冷たい死の海か、単調なパターンが繰り返されるだけでしょう。
進化の突然変異、脳のひらめき、文明の革新――。
それらはすべてランダムなしには生まれません。
〈生命〉〈個性〉〈創造〉を宇宙に吹き込んだのは、偶然という名の風だったのです。
六、情報は膨張し続ける──宇宙という巨大キャンバス
Q:情報が増え続けるのは保存則に反しないのでしょうか?
閉じた量子系では情報は保存されます。
しかし宇宙は「膨張し続ける器そのものが成長する系」です。
キャンバスが広がれば、描ける模様も増えていきます。
初期の情報が1000ビットだったとしても、いまでは天文学的なビット数が刻まれています。
これは、いわば熱力学第二法則(エントロピー増大)の宇宙版といえるでしょう。
七、量子ランダムは自由意志を生むのか?
完全決定論なら意志は計算の幻にすぎませんし、
完全ランダムなら意志は風まかせになります。
では、私たちの選択はどこから生まれるのでしょうか。
ひとつの答えの候補はこうです。
自由意志とは「決定」と「偶然」の狭間で芽吹く創発的な現象です。
量子ゆらぎが選択肢を用意し、大脳は経験・価値・感情によってその中から方向を選びます。
自由とは、ランダムを素材に「意味のある選択」を彫り出す力なのかもしれません。
八、なぜ宇宙はシンプルから始まったのか?
鍵はエントロピー(無秩序度)です。
宇宙が低エントロピーから始まったからこそ、そこから秩序が生まれ、発展していく余地が生まれました。
暴膨張(インフレーション)は宇宙を一気に均質化し、そのなかに量子ゆらぎという種をまきました。
「平らなステージ」と「微細な揺らぎ」――それが進化の物語の始まりだったのです。
九、量子の世界を私たちが感じられない理由
量子現象の痕跡は私たちの日常の中にたくさんあります。
スマートフォンの半導体、量子トンネル効果、CMBの温度ゆらぎ――。
それらすべてが、「量子は現実のものだ」と語っています。
ただし、私たちは10^28個もの原子の集合体です。
1つ1つのランダムは、途方もない数の平均によってならされてしまいます。
波のうねりが水分子の運動の総和で現れるように、
私たちが見る秩序は、ミクロのカオスの影のようなものなのです。
十、宇宙と情報の行き着く先
現在の観測によれば、宇宙は加速度的に膨張し続けています。
最有力なシナリオは「ビッグフリーズ(熱的死)」です。
星が尽き、黒洞が蒸発し、エネルギー差が消え、
新たな情報がほとんど生まれなくなる未来が訪れるでしょう。
しかし、そこに寂しさだけを見る必要はありません。
1000ビットの種から138億年で銀河と生命まで至った奇跡。
それだけでも、十分に価値ある物語なのです。
エピローグ──私たちは、宇宙が自らを理解しようとするときの「目」です
宇宙の始まりは、小さな点でした。
ランダムの筆と法則の定規が交わり、
銀河が描かれ、生命が芽吹き、
やがて「宇宙とは何か」と問いかける存在が現れました。
アインシュタインの決定論への信念。
ボーアのランダムへの肯定。
その対話は、いまも科学史の中で生き続けています。
私たちの身体をつくる原子は、かつて星の核の中にありました。
そして、いまこの瞬間に生まれるひらめきも、
もしかすると量子の小さなゆらぎから訪れたものなのかもしれません。
宇宙は138億年かけてサイコロを振り続けてきました。
その結果のひとつが、「宇宙はサイコロを振るのか?」と問う私たち自身なのです。
それこそが、ランダムのもっとも美しいロマンではないでしょうか。



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