平常心(へいじょうしん)

  ———aseeking 2025/04/18(金)

世の中はさわがしく、
人の心はやすらぎを失う。
名利めいりを追い、得失とくしつおぼれ、
いつの間にか、自分を見失みうしなっている。

喧騒けんそう浮世うきよにおいて、
最も得難えがたいものは、
水のように静かな——平常心

「平常」という二文字には、無限の意味が込められている:
風が吹こうと、心は水面のようにおだやかに、
世の無常むじょうにあっても、波立たず静かでいる。

平常心とは、
冷淡れいたんでもなく、怠惰たいだでもない。
それは風雨ふううを乗り越えた後のゆとり、
「物によろこばず、おのれかなしまず」洒脱しゃだつさである。

順境じゅんきょうにあっても、おごらず、
逆境ぎゃっきょうにあっても、落ち込まず。
世の栄枯盛衰えいこせいすいを知り、
人生の晴れと雨をさとる。
風雨は旅の常、
陽光ようこう永遠えいえんではない。

平常心で人生のしずみをながめれば、
苦しみや執着しゅうちゃくやわらいでゆく。
仕事がうまくいかぬときも、あせらず、尽力じんりょくすればそれでよし;
恋愛れんあいに波があっても、執着せず、縁の起こりと終わりを受け入れる。
そうすれば、心には静かな聖域せいいきが生まれ、
外の世界に乱されることなく、
この俗世ぞくせの中でも、美しさと優しさを摘み取れる。

荘子そうしは言った:「至人しじんおのれなし、神人しんじんこうなし、聖人せいじんなし。
本当のしずけさは、遠くにあるのではなく、
心の片隅かたすみにある——
求めず、執着しない、その静かな安らぎ。

人は名利めいり誘惑ゆうわくされ、欲に引き寄せられ、
いつしか初心しょしんを忘れてしまう。
だが本当の心地ここちよい暮らしとは、
ただ一つの平常心にある。
今に集中し、
過去を問わず、未来を恐れず。

平常心は、
年月としつきかれ、心の透明さを要す。
放棄ではなく、逃避でもなく、
喧騒の中で静けさを守り、
奔走ほんそうの中で初心を失わぬこと。

その境地きょうちは一日にして成らず、
だが一念一行いちねんいちぎょう、一日一日がかさなってゆく。
以下の心法が、あなたと私の灯火とうかとなれば幸いである:

一念を集中し、今に帰る
過去にとらわれず、未来に悩まず、
心を今この瞬間に置く。
一呼吸一呼吸瞑想めいそう
朝の光の中の一杯の茶、
一花一葉いちげいちようが、帰るべき場所となる。

水のように心を観る、感情にからまぬ
怒りは風のごとく、悲しみはくもごとし。
すべては来ては去るもの。
判断せず、逃げもせず、
ただ静かに眺める——
空を流れる雲を見るように。

万象ばんしょうを受け入れ、ありのままにやすんずる
こばまず、なげかず、
あらゆる瞬間を「今」からの贈り物として受け取る。
花のりも風景ふうけい
きこともしきことも、すべて修行しゅぎょう

己をらし、心に従って行く
心の波を観察し、
自身の起伏きふくを知る。
己を知ってこそ、安らかに生きられる。

感謝の心をいだき、世界を優しく見る
どんな小さな美しさにも「ありがとう」を。
一筋ひとすじ陽光ようこう、一言の優しい言葉、
感謝は、最もやわらかい力である。

動静どうせい調和ちょうわ、身と心をやしな
運動で気血きけつめぐらせ、
休息で心を静める。
身が安らげば、心もまた安らぐ。

自然に親しみ、風の音を夢に聴く
山林を歩き、雲の動きを見つめ、
水辺に立ち、風や雨の音を聴く。
天地の広さが心を和らげ、
自然の静けさが思念しねんをも軽くする。

人とつながり、心に寄り添い
一つの誠実な会話は、千の言葉に勝る。
温かな人間関係こそ、
心が還るべき最も柔らかな場所。

継続こそ道、日々是修行
平常心を養う近道はない。
日々の生活の中で体得し、
朝の始まり、夜の終わりに静かに修する。
急がず、焦らず、
ただ日々の積み重ねが、心の安らぎをもたらす。

願わくは、あなたも私も一つの平常心をおさめんことを——
山を見て山とし、水を見て水とし、
人を見て人とし、己を見て己とする。
風が吹くときは、心の舟に静かに座り、
花が咲くときは、風のささやきを聴く。
雲の移ろいを見守り、
時の流れを聞きながら、
心はただ静かに、やすらいでいる。

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