The Universe Inside Your Body: All of Humanity in a Sugar Cube.
あなたは、自分の身体をとても「確かなもの」だと感じているかもしれません。
毎日、食べ、歩き、世界に触れる。
そこには重さがあり、抵抗があり、境界があります。
けれど、もしこう言われたらどうでしょう。
あなたの身体の99.9999999999999%は「空」でできているのです。
それは、巨大な大聖堂の中を、たった一匹の蛾が舞うような空虚さです。
――そのとき、
自分は少し幽霊のような存在なのではないか、
そんな感覚に襲われるかもしれません。
一、私たちはどれほど「空」なのか
ひとつ、想像してみてください。
あなたの手をぎゅっと握りしめます。
その拳ひとつが、原子核だとしましょう。
では、その原子はどれほど大きいのでしょうか。
答えは――セント・ポール大聖堂がすっぽり入るほどです。
もしそれが水素原子なら、
たった一つの電子は、広大な聖堂の天井と祭壇のあいだを、
行き先もなく、確率に従って漂う一匹の蛾のような存在となります。
これは詩的な比喩ではなく、
物理学者トム・ストッパードが描いた、実際のスケール感なのです。
あなたも、私も、
この世界のすべての人間も、
こうした原子の集合体にすぎません。
言い換えれば――
私たちは、ほとんど「空」なのです。
二、それでも手は机をすり抜けない
原子がこれほどまでに空だと知ったとき、
多くの人がまず疑問に思います。
「それなら、なぜ手は机を突き抜けないのか?」と。
どちらも空虚な大聖堂なら、
触れた瞬間に互いをすり抜けてもよさそうなものです。
その答えは、量子力学のひとつの掟――「パウリの排他原理」にあります。
「量子力学」を見つめ直したい方は、【アインシュタインが量子と出会った日――「虚無」から始まる宇宙の叙事詩】もあわせてお読みください。
極端に単純化して言えば、
二つの電子は、まったく同じ状態に同時には存在できません。
映画館の座席のように、一つの席には一人しか座れないというわけです。
あなたの手が机に近づくと、
両者の表面にある電子雲が重なり始めます。
さらに近づこうとすれば、どこかの電子が他人の膝の上に座らざるを得なくなる。
その瞬間、パウリ原理が告げます。
「それは許されない」と。
こうして生じる強烈な反発力。
それこそが、私たちが「硬さ」と呼んでいる感覚の正体なのです。
つまり――
私たちが感じている「実在」とは、物質が詰まっているからではありません。
空虚が、規則によって支えられている結果なのです。
この世界は、確率と禁則が演出する、壮大なマジックショーなのです。
三、すべての「空」を押し潰したら

ここで、さらに極端な問いを立ててみましょう。
もし原子内部の空間をすべて押し潰したら、何が起こるのでしょうか。
答えは驚くほどシンプルです。
全人類80億人分の「実質的な物質」は、角砂糖ひとつ分の体積に収まります。
もちろん、その角砂糖は想像を絶するほど重く、
人類全体の質量を背負っているのです。
これは空想ではありません。
宇宙には、実際にそうした密度をもつ天体が存在します。
――中性子星です。
中性子星の物質を角砂糖ほど地球に持ち帰ったとしたら、
その重さは、全人類の体重を合わせたものに等しくなります。
そこでは原子核が隙間なく並び、
電子は陽子に押し込まれて中性子へと変わります。
空間は消え去り、残るのは、極限まで圧縮された星の骸だけです。
四、ブレイクの詩と、物理学の応答
ウィリアム・ブレイクの詩に、こんな一節があります。
「一粒の砂に世界を見、
一輪の花に天国を見る。
無限を掌に握り、
永遠を一瞬に収める。」
この詩は、まるで物理学へのラブレターのようです。
「掌に無限を握る」――私たちの手の中の一粒の砂には、数えきれない原子が詰まっています。
そして、その一つひとつの内部は、宇宙のように空虚なのです。
理論上は、人類すべての原子の「実体」を集め、掌に載せることすら可能です。
これは比喩ではなく、物理的な意味での「無限が微小に宿る」という事実なのです。
「一瞬に永遠を収める」――中性子星の物質には、
一つの恒星が数十億年をかけて辿った運命が凝縮されています。
永遠は、高密度という形で折り畳まれているのです。
詩人の直感と、科学者の検証は、ここで静かに重なり合います。
五、それでも私たちは「本物」なのか
ここが、もっとも胸を打つところです。
私たちはこれほど「空」なのに、
痛みを感じ、愛し、考え、創造します。
生命とは、物質の量ではありません。
空虚の中で踊る、構造と関係と過程なのです。
もし私たちを中性子星の密度まで圧縮したなら、
「人」という存在は失われてしまいます。
なぜなら、生命に必要なのは重さではなく、
配置と流れだからです。
それは、次のような示唆を与えてくれます。
人と人の隔たりは、あるスケールで見れば仮象であること
ミクロでは、私たちは万物と連なっていること
星の骸の中では、私たちは宇宙と同質であること
幽霊のように空でありながら、意味を生み出せること。
そこにこそ、意識という謎の核心があるのかもしれません。
六、空と満のあいだで生きる
もし身体が重く、人生が詰まりすぎていると感じたら、思い出してください。
あなたの「確かさ」は、空虚によって織られています。
あなたは固定された物体ではなく、
物理法則が一時的に結び合わせた光と振動と関係の束です。
――考える時空のさざ波なのです。
哲学者アラン・ワッツは、こう語りました。
「あなたは身体の中にいる魂ではない。
あなたとは、身体・心・世界が共に形づくるプロセスなのだ。」
私たちは、空であり、そして満ちています。
小さく、そして途方もなく大きいのです。
その矛盾こそが、存在を最も魅力的なものにしているのだと思います。
人類すべてを収める角砂糖は、
遠い宇宙にあるのではありません。
それは、私たちが自分自身をどう理解するかという、その内側にあります。
自らの「空」を見つめたとき、
初めて触れられるものがあるのです。
――意味とは、空虚の中に生まれる、つながりと震えなのです。



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