The Wisdom of Forgetting
― 静かに前を向くために ―
忘れたいのに、忘れられないって、ありますよね
ある日ふと思い出して、胸がチクリと痛むような言葉や出来事。
たとえ時間がたっていても、ふいに蘇ってくるものがあります。
記憶は苦しみを与えるときにはしつこく残り、
喜びを与えるときにはあっさりと過ぎ去る
― バルタサール・グラシアン『知恵の書』
この言葉を読んだとき、妙に納得してしまいました。
楽しかった記憶ほど、ふわっと消えていき、
なぜか心が傷ついた記憶だけが、何度もリピートされてしまう。
私自身、忘れたいのに忘れられない記憶と何度も向き合ってきました。
それは、自分を責めたくなる失敗だったり、信じていた人からの一言だったり…。
忘れられなかった一言
大学のゼミで、チームで研究をしていたときのこと。
私のちょっとしたミスがきっかけで、発表準備が遅れてしまいました。
そのとき、リーダーだった先輩に言われた一言。
君のせいで全部台無しだよ
その場の勢いだったのはわかっています。
でもその言葉が、ずっと心に刺さったままでした。
自分は役に立たない人間かもしれない――
そんな思い込みが、知らず知らずのうちに自信を奪っていきました。
社会人になってからも、また失敗するかもとブレーキがかかる場面が何度もありました。
たった一言なのに、それが心の奥深くに根を張っていたのです。
忘れることは逃げじゃない。癒しなんだと思う
私たちは時々、忘れる=逃げることだと思ってしまいがちです。
でも、あるとき気づきました。
本当の意味で忘れるって、感情の執着をそっと手放すことなんじゃないかと。
たとえば、指に刺さった小さな棘。
見えないふりをしていても、触れるたびに痛む。
でも、自分の手でそっと抜くことで、ようやく癒え始めるんですよね。
それと同じように、忘れられない言葉や体験も、
そのまま放っておくのではなく、ちゃんと向き合って、
もう手放してもいいよと許可を出してあげることが大事なんだと思います。
このあたりについては、別の記事手放すことを学ぶ——人生の八苦を超える智慧でも、詳しく書いています。
裏切られたと感じたあのとき
社会人3年目の頃、新規プロジェクトに関わることになりました。
尊敬していた上司と二人三脚で、遅くまで資料を作り、必死に進めていた日々。
でも、ある日突然プロジェクトの中止が決まりました。
しかも、その決定は私に知らされることなく、水面下で進んでいたのです。
上司に問いただしたとき、返ってきた言葉はひとこと。
守れなかった、ごめん
胸が張り裂けるような思いでした。
努力が無駄になった悔しさも、信じていた人に裏切られたような悲しさも、
いっぺんに押し寄せてきました。
しばらくは、人を信じることが怖くなりました。
でも、時間が経って振り返ると、
あの人もまた、自分なりに苦しんでいたのかもしれない、と思えるようになりました。
そのとき、心の中でそっと許す準備ができた気がします。
そして、もうこの感情を抱え続けなくていいんだと、忘れる準備もでき始めたのです。
忘れることで、心が軽くなる
ある朝、ふと手帳にこんな言葉を書きました。
「あの日の出来事も、あの一言も、もう手放していい」
たったそれだけなのに、なんだか心の重さが少しだけ減った気がしました。
それ以来、過去に縛られるより、今日を大切にしようと思えるようになったんです。
忘れるって、記憶を消すことじゃないんですよね。
過去に感じた感情をもう十分だよと、やさしく抱きしめてから離すこと。
それは自分を癒すための、静かで強い選択なのだと思います。
忘却は、大人の知恵かもしれない
私は今、成熟するって、選べるようになることだと思っています。
全部を抱えて生きるのはしんどい。
だからこそ、何を心に残して、何を置いていくか。
その選択が、自分らしく生きるための知恵になる。
忘れたくない大切な思い出はそっと胸にしまって、
もう必要のない後悔や怒りは、静かに手放していく。
それは、感情にフタをすることではなく、
今の自分にとって、本当に必要なものを選ぶ優しさなのかもしれません。
おわりに:忘れる勇気が、明日への一歩になる
私たちの心は、波のように揺れ動きます。
落ち込む日もあれば、前を向ける日もある。
でも、どんなにゆっくりでも、
忘れる勇気を持てたとき、また一歩前に進める気がします。
大切なのは、記憶に支配される人生ではなく、
選んだ記憶と共に歩む人生を生きること。
心の中のスペースを整えることは、
自分自身へのやさしいギフトです。
静かに、でもしっかりと、前を向いて歩んでいけますように。
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