時間の影

2.5

  ———aseeking 2025/04/21(月)

見えない風のように

時間は、いつの間にか私たちを連れていく

時間は、見えない風のようなものだと、私はずっと感じています。

それは正面から吹きつけてくることはありませんが、ふと振り返ったときに、「こんなにも遠くまで来ていたのか」と気づかされるのです。髪先をかすめ、指の間をすり抜け、ある朝、そっと昨日を遠くへと運んでいきます。

子どものころ、私は時間を「待つもの」だと思っていました。誕生日を待ち、冬休みを待ち、雪が空から舞い降りるのを、窓辺でじっと見つめていた記憶があります。

しかし、いつからか、時間は「過ぎ去るもの」に変わっていきました。春を待つ気持ちよりも、春が過ぎていく早さに驚くようになったのです。

変化は、最初は小さなさざ波のように静かで、やがて大河となり、すべてを押し流していきます。変わらないと思っていた日常も、気づけば少しずつ姿を変え、過去の風景となってしまう。

かつて自転車で駆け抜けた細い路地は、今では明るく賑わう商店街へと変貌を遂げていました。記憶の中で凍えるように冷たかった冬の風も、今となっては優しい懐かしさをともなって吹いてきます。

変化は、時間のささやき

私は小学生のある冬の日を、今でも鮮明に覚えています。飴細工のおじいさんが、色あせた羽織をまとい、木箱を背負ってゆっくりと路地の奥から現れたとき、私は角で数枚の銅貨をぎゅっと握りしめていました。

飴の香りが、冷たい風の中でふわりと混ざった瞬間――あれは「幸福」と呼べる感覚だったのかもしれません。

けれど、そのおじいさんの姿は、今では記憶の中にかすかに残るだけ。あの銅貨は、引き出しの奥に眠っていますが、私が握っていたぬくもりも、少しずつ薄れていきます。

時間は声を上げることなく、静かにすべてを変えていきます。変化は、私たちに別れを教え、出会いを運び、季節のように繰り返し、心に少しずつ跡を残していくのです。

友人たちと語り明かした夜、恋に落ちた春の日、心が折れそうになった雨の朝。そうした一瞬一瞬が、すべて私たちを今の姿へと形づくってきました。

人生は、絶えず舞台が変わる劇のようです。私たちは役者として次々と新しい衣装をまとい、場面が変わるたびに「自分」という存在を演じ続けているのです。

「また今度ね」という一言が、気づけば「永遠のさよなら」になってしまうこともあります。

でも、それは悲しいことばかりではありません。
時間は、優雅に「すれ違う方法」も教えてくれるのです。

時間を味方にして生きる

変化を拒むことは、時を止めようとすることと同じです。

私たちは日々、少しずつ年を重ね、体も心も変わっていきます。鏡の中の自分に驚いた日も、声をかけたくてももう会えない人を思い出す夜も、すべてが「時間」と共にある証です。

ある晩、仕事帰りに寄ったカフェで、私はふと窓の外を見つめていました。街の灯りが一つひとつ灯り、誰かの帰り道を照らしていました。そのとき、不意に感じたのです。

成長とは、一瞬の悟りではなく、日々時間と向き合いながら、自分自身を受け入れていく旅なのだと。

後悔とともに眠り、不安とともに起き、それでも前に進む。
それが私たちにできる、最も強く、やさしい生き方ではないでしょうか。

時間は、もっとも優しく、そしてもっとも残酷です。
優しい人と出会わせ、そしてその人との別れもまた、そっと教えてくれます。

変化が痛みを伴うこともあるでしょう。
けれど、その痛みの中にこそ、私たちが学び、強くなるための芽が宿っているのです。

未来がどんな姿をしているのか、私たちにはわかりません。

でも、今この瞬間を大切にできたなら、それだけで十分ではないでしょうか。
朝の光、家族との食卓、友との再会、すべてが愛おしい「いま」です。

時間は、私たちの声を聞いています。深夜のため息も、心の中の叶わぬ願いも。

すべてが変わっても、その変化の中にこそ、私たち自身が彫り出されていくのです。

最後に――変化を恐れずに、歩き続ける

いつか、私たちは老いていくでしょう。
そのとき、夕暮れのベランダで、一杯の温かいお茶を手に、若き日の不安や迷いを思い出すかもしれません。

そして、ふと微笑むのです。

「すべてが意味のあることだった」と。

涙も、別れも、数え切れない変化も、やがて時の中で真珠となり、一粒一粒が人生という首飾りを形づくっていきます。

どうか、時間を恐れないでください。変化を怖がらないでください。

木々が四季を恐れないように。
葉が落ちることもまた、新たな成長のはじまりです。

川が曲がりくねることを恐れないように。
その流れは、必ず光のもとへと向かっていくのです。

だから、私たちも一生をかけて、未知なる風を迎えにいきましょう。
たとえその風が、いつもやさしいとは限らなくても。

風が吹くところに、時間の影があります。
そして、時間が流れた場所には、きっと私たちの足跡が残っているのです。

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