借りもの

魂と意識の成長
借りものの時間――父と息子が過ごす、最後の夕暮れ


家に着いた日、彼は父を支えてベランダへ連れていった。

下では、何人かの子どもたちがボール遊びをしていた。

赤い服を着た太った男の子が、蹴った拍子に靴を飛ばしてしまい、片足で跳ねながら拾いに行く。
子どもたちは、転げるように笑っていた。
父も笑った。

口元が少し上がった、その瞬間だった。
突然、血を吐いた。

彼は慌てて手を伸ばした。
けれど父は、その手を押しのけた。
「怖がるな」

そして、ふいに動きを止めた。

下の男の子はもう靴を拾っていた。
顔を上げ、ベランダにいる二人を見つけた。
五、六歳くらいだろう。

日焼けして真っ黒な顔で、二本の前歯が抜けた口を大きく開け、こちらへ笑いかけている。

父も笑った。
口元から血が流れているのに、気にも留めていなかった。
「お前も小さいころ、あんなだった」
父が言った。

「サッカーをして帰ってきて、俺が掃除したばかりの床を、泥だらけの足で歩いた」
「でも、怒らなかっただろ」
「何を怒るんだ?」

父は下を見たまま言った。
「床は、また汚れる。汚れたら、また掃除すればいい」
「汚れるのが怖くて、掃除しないのか?」

彼は何も言わなかった。
父がもう一度、笑った。
「失うのが怖くて、生きないのか?」

父はポケットから小さな金属の箱を取り出した。
箱には錆が浮いていた。
蓋は固く閉まっていた。

爪を立ててしばらくこじ開け、ようやく開いた。
中には、一本の乳歯。
少しばかりの産毛。
小学三年生の「三好学生」の賞状。
そして、中学生のときの「優秀班干部」の証明書。

一番下には、古い写真が一枚、押し込まれていた。
写真の中で、父は生後一か月の彼を抱いていた。

あのころの父は、髪は真っ黒で、背筋は伸びていた。
まるで、とんでもない宝物を拾ったばかりのような顔で笑っている。
「持っていろ」
父は金属の箱を彼の手に押しつけた。

箱は、とても軽かった。
それなのに、とても重かった。
「しまい込むな」
「お前の子どもに見せろ」
「一つ一つのものには、その後ろに物語があるって教えてやれ」

彼は俯き、写真をめくった。

長い沈黙のあと、ようやく尋ねた。
「父さんがいなくなったら、俺はどうすればいい?」
父はベランダの手すりにもたれ、しばらく目を閉じた。
風が白くなったこめかみの髪を揺らしていた。

枯れ草の束が風に吹かれているようだった。
「どうすればいい?」

父は目を開いた。
「ちゃんと生きろ」
「俺は、お前との親子という時間を借りた」
「今、それを返すんだ」
「これからお前も、誰かに貸すんだ」
「お前の子どもに。お前の孫に」
「みんな、通りすがりの旅人だ」

父は彼を見た。
「でも……」

父は少し間を置いた。
「旅人と旅人のあいだでも、ちゃんと一緒に歩くことはできる」


その夜、父は亡くなった。

最後の瞬間まで、父は彼を見つめていた。
もう言葉を発することはできなかった。
けれど、その目は笑っていた。

彼には、父が何を言おうとしているのか、ふいに分かった。
「駅に着いた。俺は先に降りる」
彼は泣かなかった。
ただ額を父の手の甲にそっと押し当てた。

まだ温かかった。
「父さん」
彼は言った。
「この道を貸してくれて、ありがとう」
父は目を閉じた。

口元には、まだかすかな笑みが残っていた。
窓の外で、最後の一枚の梧桐の葉が落ちてきた
そして、ちょうどガラスに張りついた。


父が亡くなって三日目。

彼は書斎の壁を取り壊した。
電動ドリルが唸り、白い埃が舞う。
壁のタイルが、一枚ずつ剥がされていく。

妻は入口に立って、それを見ていた。
何も聞かなかった。

彼は言った。
「家も、借りものだから」
「だから、扉を閉めるのはやめよう」
壁に開いた穴から、陽の光が一気に流れ込んできた。
部屋中を漂っていた埃が、突然その姿を現した。
埃は、ずっとそこにあった。
ただ、以前は壁が光を遮っていた。

壁を取り払って、光が差し込んだとき、彼は初めて気づいた。

空気の中には、こんなにもたくさんのものが漂っていたのだ。

金属の箱も開いた。
彼は中の写真を一枚ずつ額に入れ、廊下に飾った。

毎日通るたび、そこには若い男がいた。
赤ん坊を抱き、目を細めて笑っている。

娘が写真を指差した。
「これ、誰?」

「おじいちゃん」

彼は答えた。
「おじいちゃんは、僕に命を一つ貸してくれたんだ」
「そして今、それを返したんだよ」

娘は首を傾げて考えた。
「また返ってくる?」
「帰ってこないよ」

娘の口元がゆっくりと下がった。
目も赤くなった。

彼はしゃがみ込み、娘と目の高さを合わせた。
「でもね、おじいちゃんが僕に貸してくれた時間は、まだ僕の中にある」
「それを、お前に使う」
「お母さんにも使う」
「そして、僕が愛するすべての人にも使う」
「いつか、僕もいなくなる」
「そのときは、僕がお前に一緒にいた時間を貸したんだって、覚えておけばいい」
「それだけでいいんだよ」

娘は、分かったような、分からないような顔で頷いた。
そして彼のところへ寄ってきて、頭を彼の肩に埋めた。
髪から、オレンジの香りのシャンプーが漂ってきた。

かすかで。
懐かしい香りだった。

彼は目を閉じた。


週末、彼は娘を連れて凧揚げに行った。

風に凧を託して――父と娘が過ごす、かけがえのない時間

風が強かった。
赤いトンボの凧が空に上がったと思った瞬間、糸が切れた。

娘は一瞬、呆然とした。

次の瞬間、口をへの字にして泣き始めた。
「パパ、飛んでいっちゃった!」
「うん」
「飛んでいっちゃった」
「あれ、私の凧なのに!」

彼は空の雲を指差した。
雲が流れていく。
そしてまた、別の雲が流れてくる。

風が二人のあいだを通り抜け、娘の前髪を揺らした。
「さっきまでは、お前のものだった」
「でも、雲だって誰のものでもない。風だって誰のものでもない」
「僕たちは、凧で風にちょっと触れただけなんだ」

彼は笑った。
「それで、十分じゃないか?」

娘は分かったような、分からないような顔で、
「うん」
と頷いた。
やがて泣き止んだ。

二人は芝生に座り、赤いトンボの凧がどんどん遠ざかっていくのを見ていた。
最後には、空の彼方に小さな点になった。
陽の光が、娘の頬に残った涙の跡を照らしていた。
きらきらと光っていた。

彼はふいに、父の言葉を思い出した。
木は、自分が春を借りていることなど知らない。
それでも、確かに緑になった。
人もまた、最後に何を残せるかばかりを考えなくていい。

この瞬間を、真剣に生きた。
真剣に愛した。
そして、真剣に愛された。
それで、十分なのだ。


その夜、彼はまた廊下に座り、写真を眺めていた。

生後一か月の写真から、四十歳の写真まで。
父は、彼の人生のあらゆる節目に写っていた。

最後の一枚は、去年の正月に撮ったものだった。
父が彼を抱き、彼が娘を抱いている。
三世代が、ぎゅっと寄り添っている。

写真の裏には、父の言葉が残されていた。
字はもう、少し歪んでいた。
診断を受けて三日目に書いたものだった。
「子どもへ。父さんの人生で借りたものの中で、一番素晴らしかったのは、お前だ。」

彼は写真を置いた。
窓辺へ歩いていく。
夜風が流れ込んできた。
カーテンが帆のように大きく膨らんだ。

彼は両手を広げた。
風が指のあいだを通り抜けていく。
何も残らない。

それでも、彼はかつて風をこの手に受け止めたことがある。

この世のすべては、借りものなのだ。
家も。
身体も。
家族も。

そして、今この瞬間、肺に吸い込んだ一息でさえ、次の瞬間まで、ほんの一時だけ自分のものになっているにすぎない。

では、「大切にする」とは何なのだろう。

大切にするということは、決して拳を握りしめ、逃げていかないようにすることではない。

強く握れば握るほど、手のひらはかえって空っぽになる。

本当の意味で大切にするとは、手を開くことなのだ。

来るべきものは、来させる。
去るべきものは、去らせる。

風は、所有しなくていい。
頬を吹き抜けてくれれば、それでいい。
灯りは、永遠に点いていなくていい。

今夜、あなたを照らしてくれた。
それだけでいい。

私たちは、この世界にやって来たときから、本当の意味で自分のものだと言えるものを、一つも持ってはいなかった。

ただ、たまたま手にした。
たまたま出会った。
たまたま愛した。
そして、いつかその時が来たら、一つずつ、元の場所へ返していく。

だから、別れを恐れなくていい。

何かを急いで掴もうとしなくてもいい。

なぜなら、一つの人生に本当に属するものは、最後に何を残したかではない。

それがまだ自分のものであるあいだに、
あなたは、それをちゃんと見ただろうか。
ちゃんと愛しただろうか。
ちゃんと生きただろうか。
それだけなのだ。

一生。
それで、十分なのだ。

窓の外では、梧桐の木が葉をすべて落とし、裸の枝を空へ伸ばしていた。

月の光が、その枝々に落ちている。
冷たく、静かに。
けれど彼には分かっていた。

来年の春、この木はまた緑になる。
そして、自分もまた。

無常」については、別の記事【無常の世を生きるということ】で詳しく書いています。

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